疲れからか布団から動けない日だった。左耳の奥が痛い。熱はないが少し咳が出る。何かしていないと焦ってしまうので、布団の中で食にまつわる本をいくつかパラパラと読む。『フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人』(速水健朗)、『肉食の哲学』(ドミニク•レステル)、『LAフード•ダイアリー』(三浦哲哉)などである。
ふだん左翼的な文献ばかり読んでいて、結局のところ自給自足的なあるいは地域主義的な(≒保守的な?)ものの追及に向かうことに違和感があるのだが、うまく言語化できていない。そもそも右翼/左翼、保守/革新の定義づけが曖昧なだけなのかもしれない。何かヒントをと思ってこれらの本を読んだ。
その観点でいえば、『フード左翼とフード右翼』に記されている血盟団のメンバーがコミューンをつくっていたという話はたいへん興味深かった。農本主義について改めて勉強しないといけない。田中智学などを媒介にして、宮沢賢治へも接続できそうな気がする。また、ドミニクの、肉食者でありながら肉食産業を批判するほうがヴィーガンよりも現実的である、という主張には(フード)左翼的なものが感じられ、そういう本だったのかと意外だった。ピーター•シンガーを読む必要もありそうだ。
遺伝子組み換えや緑の革命、さいきんだと人工肉など工業/科学的なものへの忌避/抵抗、がフード左翼的なものの一つの性格であろう。農業が資本主義的なものに組み込まれて/置き換えられえいくことへの拒否感、と言い換えることもできる。ややベクトルが異なるかもしれないが『LAフード•ダイアリー』のなかに関連しそうな記述があった。岡田秀則の「映画は牛からできている」という文章を引きながら、フィルムの乳剤は牛(や日本の場合は鯨)のゼラチンで作られていたということについて言及している箇所である。恥ずかしながら初耳でたいへん驚いた。つまり、アナログからデジタルへの移行は、動物由来ではなくなったということだ。「この映画で動物に対して危害を加えてはいません」という注意書きが新たな響きを持つ。
日本語だとゼラチンは膠(にかわ)である。膠としては知っていたけれども、ゼラチンと同じものを指しているとはこれもまた恥ずかしながら知らなかった。日本画などに使われている。バイオリンの修理にも使うらしい。
農業生産の過程にいかに資本主義的な要素が入り込むかということ、あるいはその生産物が工業的なものの原料と化していることについての文献はたくさんある。しかしながら、エンタメ産業との関連については見たことがない。産業革命以前からその結びつきがあるにもかかわらず、ということになるだろう。
そもそもマルクスは工業モデルで考えていて、第三次産業をどう捉えればいいのかということにもつながる。サービス論争、というものがあるらしく、落ち着いたらそれについても読んでみたい。
ふだんの日記らしくはないが、深掘ると面白そうなことたちだったので、備忘録として書いた。たまにはこういう日があってもよいだろう。風邪気味の日はアイデアが浮かびがちだ。だいたい回復したときには忘れているか、大したものではないなと思うかだけれど。