• 2024年12月30日

    疲れからか布団から動けない日だった。左耳の奥が痛い。熱はないが少し咳が出る。何かしていないと焦ってしまうので、布団の中で食にまつわる本をいくつかパラパラと読む。『フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人』(速水健朗)、『肉食の哲学』(ドミニク•レステル)、『LAフード•ダイアリー』(三浦哲哉)などである。

    ふだん左翼的な文献ばかり読んでいて、結局のところ自給自足的なあるいは地域主義的な(≒保守的な?)ものの追及に向かうことに違和感があるのだが、うまく言語化できていない。そもそも右翼/左翼、保守/革新の定義づけが曖昧なだけなのかもしれない。何かヒントをと思ってこれらの本を読んだ。

    その観点でいえば、『フード左翼とフード右翼』に記されている血盟団のメンバーがコミューンをつくっていたという話はたいへん興味深かった。農本主義について改めて勉強しないといけない。田中智学などを媒介にして、宮沢賢治へも接続できそうな気がする。また、ドミニクの、肉食者でありながら肉食産業を批判するほうがヴィーガンよりも現実的である、という主張には(フード)左翼的なものが感じられ、そういう本だったのかと意外だった。ピーター•シンガーを読む必要もありそうだ。

    遺伝子組み換えや緑の革命、さいきんだと人工肉など工業/科学的なものへの忌避/抵抗、がフード左翼的なものの一つの性格であろう。農業が資本主義的なものに組み込まれて/置き換えられえいくことへの拒否感、と言い換えることもできる。ややベクトルが異なるかもしれないが『LAフード•ダイアリー』のなかに関連しそうな記述があった。岡田秀則の「映画は牛からできている」という文章を引きながら、フィルムの乳剤は牛(や日本の場合は鯨)のゼラチンで作られていたということについて言及している箇所である。恥ずかしながら初耳でたいへん驚いた。つまり、アナログからデジタルへの移行は、動物由来ではなくなったということだ。「この映画で動物に対して危害を加えてはいません」という注意書きが新たな響きを持つ。

    日本語だとゼラチンは膠(にかわ)である。膠としては知っていたけれども、ゼラチンと同じものを指しているとはこれもまた恥ずかしながら知らなかった。日本画などに使われている。バイオリンの修理にも使うらしい。

    農業生産の過程にいかに資本主義的な要素が入り込むかということ、あるいはその生産物が工業的なものの原料と化していることについての文献はたくさんある。しかしながら、エンタメ産業との関連については見たことがない。産業革命以前からその結びつきがあるにもかかわらず、ということになるだろう。

    そもそもマルクスは工業モデルで考えていて、第三次産業をどう捉えればいいのかということにもつながる。サービス論争、というものがあるらしく、落ち着いたらそれについても読んでみたい。

    ふだんの日記らしくはないが、深掘ると面白そうなことたちだったので、備忘録として書いた。たまにはこういう日があってもよいだろう。風邪気味の日はアイデアが浮かびがちだ。だいたい回復したときには忘れているか、大したものではないなと思うかだけれど。

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  • 2024年12月29日

    朋あり遠方より来る、が重なる不思議な日だった。いろいろ話したり、次に会う予定が決まったりするなかで、思いもよらず、2025年の方向性が定まってきた。ここ数年、足をつけるべき地をないことにしていたのかもしれない。地に足をつけていきたい、と書く私の気持ちは浮ついている。

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  • 2024年12月28日

    プリンターの黒インクがきれた。モノクロのものばかり印刷するので、黒インクばかりが切れる。予備を買っていたつもりがなかった。深夜のドンキに買いに行くと、純正のインクしか売ってなくて買うのをやめた。他の色を混ぜて黒を再現してくれるような機能はないのだろうか。

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  • 2024年12月27日

    きのこのパスタばかり作って食べている。

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  • 2024年12月26日

    めずらしく朝から大学で作業。ゼミ室で後輩たちの授業が始まったので、ひさしぶりに院生室へ。部屋の(物理的な)空気が悪かったからか途中から頭痛がしてきて集中できなかった。温度•湿度•二酸化炭素濃度計などを導入したほうがいい。自宅用にも買おうかしら。

    院生室の机は、職員室の教員机のような感じなのだが、先輩が2台分の机の上に薄いマットレスを敷いていて、まじかと思った。公と私のイメージがないまぜになって混乱してしまう。頭痛がしたのはそのせいかもしれない。

    ゼミ室に戻り、帰っていく後輩たちによいお年をと言いつつ一人残って作業を続ける。なかなか終わらず、帰りしな、閉店間際のカフェで続きを。後ろの席の客二人組が、弟子がいないからなあ、と嘆いていた。

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  • 2024年12月25日

    2年前の自分が書いた文章を直していてつらい。ちゃんとやっとけよと過去の自分に対して思ったが、2年前のちょうど今頃は、べつの新しいこと挑戦していた時期ではあった。ここ最近、休憩するときにNo No GirlsというちゃんみなとSKY-HIが主催のオーディション番組をみて元気をもらっている。いろんな人を勇気づけているし、いわゆるアイドル業界ひいては音楽業界に一石を投じている素晴らしい番組だと思う。

    ちゃんみながある候補者に、人を助けるのは自分のことが出来てからじゃないとやる資格がない(大意)と伝えていて、なんというかくらってしまった。特に「資格がない」という言い方に。2年前の私には今思えばその資格はなく、だからこそ今の私が苦しんでいる。とはいえ、あの時はあの時で頑張ってはいてそれはたしかに別のなにかにはなった。そう思うとなかなか難しいなとは思う。

    紛らわしい書き方になってしまったが、ともあれタスクの多さはどうしようもないので出来ることからコツコツとやるしかないという感じだ。何にも追われず、何も考えずにのんびり過ごせる日がくるのはいつになるんだろう。数年先のような気がして気が滅入ってくる。

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