• 2024年12月22日

    ゼミ発表前日で、いつもみたいに追い詰められないように早めに資料作成に取りかかりはじめていたのだけれど、結局、気がついたら朝の7時だった。9割方出来上がったと思った途端に新しいアイデアを思いついてしまう。それは次回に、と出来たら楽なんだろう。

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  • 2024年12月21日

    昼にチキン南蛮、夜に唐揚げを食べてしまった。

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  • 2024年12月20日

    今日は比較的長い時間、論文を読むのに費やすことが出来た。誰それにあれを連絡しなきゃ、みたいなことが頭を占めていない日だったからだ。こういう日を増やしていきたい。ある連絡にどう返そうかと悶々としているいつのまにか夜、ということが多々ある。連絡について神経質になのは、初めてスマホを持った中学生の時からそうで(公私問わず)もっと適当に返信していっていいのだろう。いっそすべてに対して即レスすれば解決するようにも思う。

    休憩中に見ていたYouTubeに、三時のヒロインの福田麻貴が会話について話しているのが流れてきた。バイキングの小峠が、例えばご飯を食べ終わったら食器をいつ片付けるのかなど、どうでもいい話をする人で、全然それでもいいんだと思えて会話に対する苦手意識がなくなったという話だった。ゼミの後輩と話していて、ついアドバイスをと思うと意味のある言葉になってしまい、私の発話量も多くなってしまうのがよくないなと悩んでいたところだったので参考になった。世間話って大事よね、というよくある話だ。意識的にできたとしてそれは、偽物の「どうでもいい話」なのだろうけれど、まあそれはそれで。会話の質よりもお互いの会話の量ということなのかしらんと思いつつ、そんなことを意識しながら相手が話していたらちょっと嫌かもとも思う。

    作業を進めていると予約の時間になったので、二週間ぶりにもみほぐしへ。ここ二週間は、前回指摘されたこともあって、腰から下のストレッチをけっこう頑張っていたのだけれど、固いままとのことで、そんなに甘くないですよねとちょっと落ち込む。背中についてはだいぶよくなったらしい。最初来たときはゴツゴツしてましたからね、と言われてそうだったんだと驚いた。特に下半身については、相変わらず頭で意識したとおりに身体が動かせてないとのことで、改めて力の抜き方を、脚を押さえてもらいつつ全力で反発するように力を入れては抜いてを繰り返すという形で教わる。せっかくおいしいご飯を食べているときにテレビを見ているようなもんですよ、もっともっと身体を味わうことができるんです、と言われた。そう言われると是非味わいたくなる。

    頭で思った通りに身体を動かせているかを確認するには、やはり鏡を見ながら踊るしかなかろうと思い、近所のダンススタジオを調べてみると、公営のものでも意外と高いか一人で使うには広すぎるものばかりだった。となると幅広の鏡でも買うか?と楽天市場で探してみるとこれもやはりまあ高い。スマホのインカメラを鏡として、TikTokでも撮ればいいのだろうか。いや、振り付けのない、どうでもいい踊りを踊れるようになりたいのだ。

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  • 2024年12月19日

    Notionというアプリで作業ログを取っている。Notionを使うのは数年ぶりで、昔どんなふうに使っていたんだろうとみてみると、三日だけ日記を書いていたのを見つけた。まさに三日坊主だ。当時から朝起きるのに苦労してたり、猫背の強張りを嘆いたりしていて、変わらんもんだなと思うなど。以下、そのうちの1日の引用である。


    2022年3月11日 午前0時

    なんとか起きて歯医者へ行った。

    タイムラインで見かけた和田彩花による「今夜はブギー・バック」のカバーを聞いた。「シェイク・イット・アップ」「ジューシー・フルーツ」と「生活」「充実」は、意図してか偶然か、韻を踏んでいる。この対比に全てが凝縮されている。

    とはいえ、原曲であれこのカバーであれ、これらは彼らの言葉であって、それは世代感覚を表したものとまで言えるのか、私にはわからない。「その頃のぼくらといったら」とあるようにそもそもが回想であり、もう「その頃のぼくら」ではいられなくなっていたのかもしれない。だとすれば、そんな彼らにあなたたちの言葉を知らないということは。

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  • 2024年12月18日

    鶏そぼろ丼を二日分と思って作ったけれど、夜中にお腹が空いて翌日の分も食べてしまった。作り置きがうまくいったためしがない。

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  • 2024年12月17日

    前の日に早く寝たので5時前に起きた。ふだん寝ている時間だからか一日中ぼーっとしていた。どれくらい続ければ身体が慣れてくれるのだろうか。せっかくだから早く寝ようと思うものの、諸々の連絡や修正などしていたら結局日付を越えた。もうこの時間からは返信しない、と決めればいいのだろうけど。ままならない。

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  • 2024年12月16日

    ゼミの日。例によって寝不足で起き、さっとシャワーを浴びて朝食を食べる暇もなく大学へ。生協でチョコボールとレモネードを買ってきてとりあえずの栄養補給に、というのがルーティン化してきた。意外と夜までそれで持つのかもしれないと思いつつも、後輩の質問にぼやんとした回答をしてしまったので、早く寝て早く起きたほうがいいし、朝食はちゃんと食べたほうがいいと思った。自分の生活リズムとそのせいでひとに迷惑をかけることを天秤にかけて前者を取っていたのだけれど、その問題設定自体が間違っているのかもしれん、とも思うがわからん。帰宅して昨日の残りの鍋を食べて22時。眠気が来たので逃すまいと寝る。

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  • 2024年12月15日

    ここ1週間ほどずっと取り掛かっていた次回調査用の質問表作成がひとまず終わった。対象と要素が多く、Wordに慣れていないしで、同時並行的に考えなければならないレイヤーがとにかく多くてしんどかった。それ以外の仕事も差し込まれて、いったん離れると戻ってくるのがなかなか難しい。なにかいい方法はあるのだろうか。さしあたりメモパッドを脇に置いて、後回しにする作業や考え事を思いついたらすぐ書くようにしてみている。悪くはない。さて、明日からまた論文の執筆に戻る。年末年始で形にしたいがしかし。

    いい加減、キャッシュカードか通帳を作り直しに行かないとだな。クレカを切り替えてなくて未払いですという、例えばSpotifyからなど、各種サブスクからのメールが溜まっている。ついにSpotifyのアプリにダウングレードしますという通知が来た。ということは今日までは一応、プレミアム会員だったんだ。料理中などにPodcastを聴いていると広告が挟まれていたのは、てっきり未払いのせいかと思っていたけれど、そうではなかったらしい。広告が聞きたくなくてお金を払うんだからそれはおかしいんじゃないか、と思ったが今月はいう資格がない。

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  • 2024年12月14日

    ある作家の作品の展示が明日までだったので、駆け込みで福岡市美術館へ(ちゃんと書きたいが眠いので後日加筆します)。

    HIGHTIDE STOREという文房具屋に寄って帰る。卸されている国内のオンラインストアが軒並み売り切れで半ば諦めていたTezzo SUZUKIのカレンダーがまだ残っていて無事購入できた。ついでにと来年のスケジュール帳も買った。Minute Managerというものにした。小ぶりのハードカバーで、月間と週間とノートのシンプルなもの。週間の部分は、見開きの左側が日にちで右側がリーガルパッドのようになっている。リーガルパッドというのは、洋画のなかで出てくる左側に赤い縦線が入った黄色い紙のメモ帳のことだ。最終稿と区別がつきやすくするために黄色いらしい。手帳の紙色は白いので厳密にはリーガルパッドと言えないのかもしれない。紙色はどちらでもよく、あの赤い縦線があるとなんだか格好いい、ただそれだけの理由でこの手帳を選んだ。

    帰宅して昨日の作業の続きを7時間ほど。とりあえず内容は終えた。大きく構成を並び変えないといけなくなったので、あと1、2時間で終わると思う。こういう見積もりをこれまでしたことがなかった。見積もりと実際にかかった時間の齟齬を埋めていくことを繰り返せば、作業の強度は自ずから上がっていくと思う。それはいいことなのだろうか。(作業を労働と言い換えれば)そのぶん合計の時間が減る、というのがマルクス経済学的な考え方で、でも実際には減ることがなくその差分(で産み出された価値)を資本家がピンハネするわけだ。だとしたら私は?

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  • 2024年12月13日

    だいぶ締め切りに追い詰められていて、気がつけば二日ほど顔を洗うだけで風呂に入っていなかった。ようやくここ数週間取りかかっていた作業に終わりが見えてきてほっとしている。明日でいったん終わって、またすぐに別の作業に移る。今日から、例えばプレゼン資料づくりのような、ある作業に何時間かかったかというシンプルな作業ログを取り始めてみていて、振り返ると12時間は少なくとも机の前に座っていた。そりゃしんどいわけだ。しんどい分ちゃんと進んでいて、こんな風に(風呂には入りたいが)まとまった数日間を用意できる回数を来年はもっと増やしたほうがいいと改めて思った。プロジェクトマネジメント的な視点が必要なんだろうな。その準備のためのログだ。

    12時間とはいっても、ぼーっとしている時間もあるわけで、実際どれくらい作業に集中しているのかわからない。いわゆる社会人は、どれくらいの強度?で毎日仕事をしているんだろう、とよく思う。中高、大学の友だちはほとんど就職していて、それに比べて自分は楽してるんじゃないかという気持ちが拭えない。そんなことはきっとないし、比較するもんでもないことはわかっているのだけれど。人からそういうふうに見られる(ことが最近多い)と凹むし、んなら変わってあげましょうか? と腹は立つんだから自分ぐらいは自分を労ってあげないと。ただ、怒ることができるようになってきたのはいい傾向だ。ひと昔前はそうですねぇとヘラヘラ笑っていた。なにを誤魔化していたんだろう。

    宇垣美里の「私には私の地獄がある」という言葉を思い出した。「同じ地獄で待つ」と歌える星野源よ。

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