2025年1月30日

昼ご飯にダック(アヒルと鴨どっちだ)の血にその肉を漬けた料理をトムが注文した。自国の料理を、ということでその店に珍しい料理があると注文してくれる。香辛料のせいか、たっぷりと絞ったライムのせいか思っていたよりも臭みはなかった。とはいえ、イメージが先行してしまって少しだけしか食べられなかった。さっぱりとしたものがほしくなってペプシコーラを注文した。いつか慣れたりするんだろうか。

昼は米だったので夜は麺でいいか?とトムに聞かれたので、いいよ、と答えると、じゃあスペシャルな麺を食べに行こう、と言われた。ここ二週間で初めて入る食堂で、壁と天井が水色に塗られた店内に入るとき、店主がにこやかに笑いかけてくれた。壁にはチェゲバラの絵とフェラーリの絵が並んで掛けられている。隣のテーブルには若者が三人座っていて、そのうち一人のジーパンに下着が見えるぐらいのダメージが入っていた。Pork Waterfallという豚の血からできたスープを頼んだよとトムが言う。昼は鶏で夜は豚かと戸惑っているとJust Kiddingとトムが笑う。いま私の不安そうな顔を見て、気休めにやさしい嘘をつかなかったか?と思ったが信じることにした。そう思わないと食べられそうになかったから。

しばらく待っていると、三人分ぐらいはあるんじゃないかという太めの米の麺、豚肉と牛肉、肉団子が真っ赤なスープに入っていた。やっぱ嘘じゃんかよ、いやどっちなんだと思いながら、とはいえこれしかないので麺をすする。意外とスープは食べられそうだ。次は、と豚肉を食べるとコンビニの豚しゃぶサラダのような食感で、なんでかわからないけれど無理だ、、という気持ちになった。それでも一口ぐらいはと思い次は牛肉を食べる。シンダートというジンギスカンのような焼き肉を食べたときも思ったのだけれど、牛肉に独特のざらつきがある。豚肉よりもこちらのほうが厳しかったがなんとか飲み込む。やはりイメージの問題なのだと思う。豚の血という話を聞いていなかったら食べられたような気がする。店主に申し訳ないと思いつつ、麺(一人分弱ぐらい)ともやしと何かの野菜の茎だけを食べてあとは残した。

ゲストハウスに戻りPork Waterfallで調べるといろんな情報が見つかった。どれが本当なのかわからない。ある解説によると、タイのイサーン地方の伝統料理らしい。調理中に滴る豚の血(Chat GPTは肉汁と答えた)が滝のように見えるというのが由来とのこと。ほらやっぱり、、ミントの葉の上にグリルした豚肉とパクチーなど様々な調味料をかけて食べるもので、葉をトルティーヤに変えればタコスみたいだ。それのスープ版を今日食べたのだろうか、全然グリルした豚肉、という感じではなかったけれど。お腹がぐるぐるしていたのでベッドで横になり、とはいえあまり食べていなかったせいでお腹は空いており、お土産用に持ってきていた抹茶味のポッキーを一箱一気に食べた。

幼い頃からかなりの偏食で親を困らせてきた。意識の高い幼稚園に通っていて、ご飯とパンの日が交互だった。ご飯の日は、タレのかかっていない、例えばひじきなんかと和えられた納豆が頻繁に出ていて、食べられなかった。みんなが昼休み運動場で遊ぶ中、残してもいいよと言われるまで納豆と向き合っていた。パンの日は比較的マシでたまにはみんなと鬼ごっこをすることができた。そんな昔のことをスープと向き合いながら久しぶりに思い出した。私の偏食は、生得的なものと社会的な環境のどちらのせいだったのだろう。食の欧米化だね、などと言われてしまうのだろうか。

私の研究は、食において、伝統的な領域に、資本主義的なものがどのように入り込んで来ているのか、に関することと大雑把に言うこと出来る。そんな雑な、わかりやすい昔からの二項対立でいいのかよ、とはずっと思っている。じゃあどうすればいいんだ、あーでもないこーでもないと試行錯誤しているここ数年だ。ただ、20数年前に納豆と向き合っていた時間、今日の昼ご飯にペプシコーラを頼んだこと、晩ご飯のスープを食べられなかったこと、ゲストハウスに戻って抹茶味のポッキーを食べたこと、そこから目を反らしたら嘘になってしまうということはわかる。


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