• 2025年3月29日

    早朝に起きて学会へ。例によってほとんど寝られていない。基調講演的なものってどうして必要なのだろうか。予稿をみんな読んできてさっそく議論しましょう、というのはやはり難しいのかしら。儀礼としてのプレゼテーション。せっかく様々な立場の先生方が集まる場にも関わらず、化学反応的なものは生まれていなかった。もっと発表者同士のやりとりを聞きたい、と思うのはトークショーの見過ぎだろうか。帰りは新宿駅で降り、持ち帰りのケバブを買ってカプセルホテルに戻る。イートインスペースでケバブを食べ、カプセルでほんの少しだけ仮眠。起きてまたイートインスペースへ戻り、大きなテレビでアナザースカイが流れており、みちょぱが石垣島を歩いているのを横目に、論文を書く。ノルマをなんとか終わらせ眠りにまたカプセルへ。寝ようと電気を消すと、カプセル内を掃除されたくなくて今朝押していたDO NOT DISTURBというボタンだけがまだ光っていて、俺の睡眠をDISTURBするなよなと思い消した。

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  • 2025年3月28日

    あまりにありえないミスをして落ち込んでいる。その兆候はあったけれど、いよいよボロがどんどんと出始める気がしている。生活を立て直さなければ、と書きつつ立っていたことがそもそもこれまであったのか。生活を立てる、た書くと変な感じがする。生活が立つ、ではどうか。自立する生活を作ること。さしあたって締め切りまでのあと3日を乗り切られればよい。思い切って4月の一週目はゆっくり過ごそう。冬物やジャケットをクリーニングに出したり、部屋の模様替えをしたり、靴を洗ったりしよう。そうしよう。

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  • 2025年3月27日

    起きている時間はぶっ続けで机に向かっていて、おそらくカフェインの取りすぎもあって、吐きそうになってきたので寝ようと横になる。これを書きながら若干吐いてしまったような気がするが飲み込んでなかったことにした。浅草氏が言うところの「魂を込めた諦めと妥協の結石」もとい原稿が、締め切りにはなんとか間に合いそうな予感ぐらいは出てきた。明日の今頃はまた東京である。4月に入ったら多少はゆっくりできるはずだ、とまた言っている、とまた言っている気がする。なんでこうなってしまうのか。そういう趣味なのだろうかとさえ思う。

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  • 2025年3月26日

    身体が重すぎていつもとは違うもみほぐしへ行ってしまった。めっちゃ凝ってますね、やばいですね、呼吸も浅いし、と言われいつもの店のお兄さんが言ってたことはほんとだったんだと思った。疑っていたわけではないが、0.01%ぐらいセールストークかなと思っていた。ジムに行ってますか?と聞かれ、運動しろということかなと思いながら、行ってないです、と答えると、足がパンパンなので鍛えてるのかと、と冗談かほんとかわからないようなことを言われ反応に困った。終わり際、相当身体きついでしょ、よく頑張ってますね、と言われて、それがとてもやさしい言い方で、ちょっと泣きそうになってしまった。

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  • 2025年3月25日

    先輩と後輩の卒業式。博士課程卒業の式典だけ別会場かつ学部・修士の授与式と時間帯がなぜか被っており、先輩の方を見に行った。我々の所属する機関のトップにあたる偉い人が挨拶で、「科学者として今後も研鑽される皆さんは」というようなことを言っていて、農業経済学というフィールドで研究を行う我々は科学者なのだろうか、研究者という表現じゃダメなのなのだろうか、、という気持ちになった。社会科学という意味ではそうかもしれないが、被害妄想だと思うが、何だかハブられたような気がした。そもそも全員が科学者もとい研究者としての道を歩むわけではないということも考慮されてないんじゃないか、という感が全体のスピーチを通してあり、それについても残念だった。そのスピーチには原稿があって、日本語の後に英語でも行われたのだけれど、世界の役に立てるような存在に、という文脈で、英語の方にだけに”war”、”poverty”という語が登場して、は?と言いそうになるのと堪えた。私の聞き逃しか、せめて、元の日本語原稿にはあったが読み忘れたのだと信じたい。

    愚痴ばかりになるのも嫌なので書くのは控えるけれど、残念な気持ちになることばかりの1日だった。私はもう長くここには居られないなという気持ちにさえなった。映像研には手を出すなという漫画に出てくる金森さんという登場人物の「理解してくれない他者に気を取られていると人生が崩壊しますよ」という言葉を度々思い出すここ最近である。

    とはいえ、卒業されるみんなとはさよならの言葉をきちんと交わすことができて、それはよかった。無理せず頑張ってください、と自分にも言い聞かせるように、何度も伝えてしまった。

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  • 2025年3月24日

    咳が悪化しており論文の執筆に身が入らない。何が原因なんだ!何が船を動かすんだ!などと悶々としていると、後輩から連絡が入り、そういえば明日の卒業式で卒業生に送る花を買っていないです、とのこと。慌ただしさからすっかり忘れていた。歓楽街に住んでいるので、遅くまでやっている花屋は歩けばいくつも見つかるが、なんだかなと思い、少し離れた場所にある、前から気になっていた花屋へ散歩がてら買いに行くことにした。予算は一つあたり2〜3,000円ぐらいで、4人分をいい感じに、とお願いすると、異なるパターンの花束を4つ作ってくれて、これはビタミン系、これは情熱系、などと一つ一つテーマを設定してくれた。ビタミン系は黄色が多く、CCレモンってコト…?と思うなど。店内の花を眺めながらラッピングを待つ。途切れず来客があり、恋人に贈る花束を買う人、彼氏が花瓶と一緒に花束くれたらアガるね、と会話する若者などを横目に、花屋はハッピーな場所だなと思った。たまに自分のために花を買うのもいいかもしれない。ところで花粉症の人は花屋に行っても大丈夫なのだろうか、なんてことを考えているうちに花束が完成して、両手にわんさか抱えて帰宅。明日までなるべく新鮮さを保つために、教えてもらった通り、水を入れたコップに挿した。一晩だけいい感じの台所が完成した。

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