POST HUMANと胸の部分に書かれた半袖のTシャツを着ている人を見かけた。暖かい1日だった。
POST HUMANと胸の部分に書かれた半袖のTシャツを着ている人を見かけた。暖かい1日だった。
見たかった映画が今日で公開が終わるということで、気合いで早起きしてちょっと遠くの映画館へ。私はいま駄サイクルのなかにいるんだろうか、とバスの中で云々と唸っていた。そうならないように、とやってきたつもりではある一方で、「ソラニン」という曲の一節が頭をよくよぎる。
たとえばゆるい幸せがだらっと続いたとする
きっと悪い種が芽を出してもうさよならなんだ
最近、TwitterのIDと名前を変えたのはそういう気持ちが少なからずあったからだ。ゆるい幸せ、ではまだないけどね。ともあれ、答えは出そうにないけれど、その芽が誰にとっての毒なのか(あるいは薬なのか)は考えないとな、とは思う。
そろそろ溜まっているだろうゴミ出しと図書館で本を借りるために大学へ。夜も遅いし誰もいないだろうと思って研究室へ向かうと明かりがついていて、同期か、、とドアを開けると後輩で驚かせてしまった。小一時間ほど相談に乗って帰路へ。途中、気合を入れないと返せない連絡を返すための気合を入れるために遅くまで開いているカフェに寄った。
アメリカーノを待つ間、麦茶とコーヒーをブレンドしたドリンクの試飲をもらう。コーヒーのかすを肥料として育てた麦を使っているとのこと。初めて座ってみた窓際で飲んでいると、店員さんに、ちょっと見えにくいけれどあそこのビニールハウスで育てているんですと教えてくれた。たしかに見えにくく、窓から顔と出してようやく少し確認できるぐらいである。ビルとビルの隙間にこんなビニールハウスがあったとは。循環型都市農業(かといってそれを打ち出しているような店ではない)だ、と驚きながら麦茶コーヒーを飲んだ。麦茶の独特な渋み?が苦手なのだけれど、それがコーヒーで和らいで/紛れていて、口当たりもよく普段飲むのにいいかもと思った。
たまにいくカフェで、ふだんはゆったり目のビートが流れているのだけれど、今日はずっとJJJの楽曲が流れていた。アルバムやシングルからではなく、客演だったりライブ音源が中心だった。この街も彼のことを追悼しているような気持ちになって、少し、心の整理ができたように思う。
ミックスやビート提供などで参加しているurakくんのアルバムの制作に一区切りがついた。来月頭にはリリースされるはずである。振り返ってみると一昨年の年末から制作が始まっていて、アルバムを作るとはこういうことかと実感している。ミックスしている時、同人誌の組版をしている時と似た気持ちになる。フォントを選ぶようにプラグインを選んで、文字の大きさを調整するようにボリュームを調整している。と書きながら両方やってる人って結構珍しいのではと思った。
何かをしていないと落ち着かず、皿を洗うなど家事をして過ごした。
去年一番聴いていたと言っても過言ではないラッパーが亡くなった。信じられない。訃報のニュースを見て、あまりの動揺に並んでいたバス停の列から外れ、彼のアルバムを聞きながら、急な雨の中をしばらく歩いた。こういった経験が人生で初めてなのもあって、気持ちの整理がつかない。ご冥福をお祈りします。
ある書類を探していると、学部一年生のときに書いた武者小路実篤の『友情』について書いたレポートを見つけた。数年ぶりに読んでみると口語的な表現があったり誤字脱字がひどかったりした。いい評価をもらった記憶があって、自分でもよく書けたと思っていたのだけれど、見逃してくれていたんだなと思った。とはいえ、今の私にはない思い切りのよい文章だったし、このくらいの集中力と精度でいま様々な文献を読めているかというと心許ない。大学受験のときのほうが勉強してたよな、とかもたまに思うけれど、でもきっとそんなことはない。