• 2024年12月15日

    ここ1週間ほどずっと取り掛かっていた次回調査用の質問表作成がひとまず終わった。対象と要素が多く、Wordに慣れていないしで、同時並行的に考えなければならないレイヤーがとにかく多くてしんどかった。それ以外の仕事も差し込まれて、いったん離れると戻ってくるのがなかなか難しい。なにかいい方法はあるのだろうか。さしあたりメモパッドを脇に置いて、後回しにする作業や考え事を思いついたらすぐ書くようにしてみている。悪くはない。さて、明日からまた論文の執筆に戻る。年末年始で形にしたいがしかし。

    いい加減、キャッシュカードか通帳を作り直しに行かないとだな。クレカを切り替えてなくて未払いですという、例えばSpotifyからなど、各種サブスクからのメールが溜まっている。ついにSpotifyのアプリにダウングレードしますという通知が来た。ということは今日までは一応、プレミアム会員だったんだ。料理中などにPodcastを聴いていると広告が挟まれていたのは、てっきり未払いのせいかと思っていたけれど、そうではなかったらしい。広告が聞きたくなくてお金を払うんだからそれはおかしいんじゃないか、と思ったが今月はいう資格がない。


  • 2024年12月14日

    ある作家の作品の展示が明日までだったので、駆け込みで福岡市美術館へ(ちゃんと書きたいが眠いので後日加筆します)。

    HIGHTIDE STOREという文房具屋に寄って帰る。卸されている国内のオンラインストアが軒並み売り切れで半ば諦めていたTezzo SUZUKIのカレンダーがまだ残っていて無事購入できた。ついでにと来年のスケジュール帳も買った。Minute Managerというものにした。小ぶりのハードカバーで、月間と週間とノートのシンプルなもの。週間の部分は、見開きの左側が日にちで右側がリーガルパッドのようになっている。リーガルパッドというのは、洋画のなかで出てくる左側に赤い縦線が入った黄色い紙のメモ帳のことだ。最終稿と区別がつきやすくするために黄色いらしい。手帳の紙色は白いので厳密にはリーガルパッドと言えないのかもしれない。紙色はどちらでもよく、あの赤い縦線があるとなんだか格好いい、ただそれだけの理由でこの手帳を選んだ。

    帰宅して昨日の作業の続きを7時間ほど。とりあえず内容は終えた。大きく構成を並び変えないといけなくなったので、あと1、2時間で終わると思う。こういう見積もりをこれまでしたことがなかった。見積もりと実際にかかった時間の齟齬を埋めていくことを繰り返せば、作業の強度は自ずから上がっていくと思う。それはいいことなのだろうか。(作業を労働と言い換えれば)そのぶん合計の時間が減る、というのがマルクス経済学的な考え方で、でも実際には減ることがなくその差分(で産み出された価値)を資本家がピンハネするわけだ。だとしたら私は?


  • 2024年12月13日

    だいぶ締め切りに追い詰められていて、気がつけば二日ほど顔を洗うだけで風呂に入っていなかった。ようやくここ数週間取りかかっていた作業に終わりが見えてきてほっとしている。明日でいったん終わって、またすぐに別の作業に移る。今日から、例えばプレゼン資料づくりのような、ある作業に何時間かかったかというシンプルな作業ログを取り始めてみていて、振り返ると12時間は少なくとも机の前に座っていた。そりゃしんどいわけだ。しんどい分ちゃんと進んでいて、こんな風に(風呂には入りたいが)まとまった数日間を用意できる回数を来年はもっと増やしたほうがいいと改めて思った。プロジェクトマネジメント的な視点が必要なんだろうな。その準備のためのログだ。

    12時間とはいっても、ぼーっとしている時間もあるわけで、実際どれくらい作業に集中しているのかわからない。いわゆる社会人は、どれくらいの強度?で毎日仕事をしているんだろう、とよく思う。中高、大学の友だちはほとんど就職していて、それに比べて自分は楽してるんじゃないかという気持ちが拭えない。そんなことはきっとないし、比較するもんでもないことはわかっているのだけれど。人からそういうふうに見られる(ことが最近多い)と凹むし、んなら変わってあげましょうか? と腹は立つんだから自分ぐらいは自分を労ってあげないと。ただ、怒ることができるようになってきたのはいい傾向だ。ひと昔前はそうですねぇとヘラヘラ笑っていた。なにを誤魔化していたんだろう。

    宇垣美里の「私には私の地獄がある」という言葉を思い出した。「同じ地獄で待つ」と歌える星野源よ。


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