先日から、春蜺という私の曲が各種サブスクで配信されている。曲自体は数ヶ月前に出来ていて(原曲に関しては数年前)、なんとなく配信を先延ばしにしていたのだけれど、春も来たしということで、Tunecoreというサービスを通じて、配信手続を行ったのだった。この時差は多忙だったせいもあるが、なんとなく配信するのが億劫だった。というのも、以前に何曲か登録したことはあり、かつ細やかにどこでどれくらい聞かれているのかというアナリティクスを見ることができる。推察するに、知り合いにしか聞かれていないんだろう(ありがとうございます)と感じていて、それならYouTubeにはあげているので十分だと思っていた。とはいえ、米津玄師も誰にも聞かれなくてもニコニコ動画に曲をあげ続けていた日々があったという話を聞いて、若輩者の私がそんな気持ちではいかんと久しぶりにTunecoreを開き、Spotifyのアーティストページなんかも整え始めた今日この頃である。もちろんニコニコ動画にもアップした。
最近、アプリを消すなどしてほとんどTwitterを開いていなかったのだけれど、久しぶりに見てみるかとブラウザでログインしてみると、知らない人にメンションされていた。春蜺を含む私の曲を紹介してくれていたのである。YouTubeにあげている曲にいいねがついていたことぐらいはあったけれど、知り合い以外から、ここまでのリアクションを知り合い以外から受け取ったのは初めてで、とても嬉しかった。Spotifyのおすすめに出てきて聞いてくれたとのことで、ちゃんとアルゴリズムが機能してるんだという素朴な驚きがあった。
Tunecoreだったり、Spotifyアーティストではその日のうちにどこでどれくらい聞かれているかのアナリティクスを早速確認することができるのだけれど、ここ一年のすべての曲の再生数を一日ではるかに上回っており、しかも世界中で聞かれていて、そんなまさか、と戸惑っている。おそらく可不がメインアーティストに入っているからだろう。予想、意図していなかったわけではないが、ここまでとは。
広義のボカロのラップ曲を作っているのには色んな理由がある。とあるジャズミュージシャンの試みを引き継ぎたいというのがまずあるし、『アンビバレント•ヒップホップ』という最近出たヒップホップに関する本への私なりの回答の模索でもある。あまり手の内、胸の内を明かすのもなんだしなという気持ちもあるが、覚悟という意味でも、こういうことを言っておくのは大事なのかもしれない。日本のビートメイクシーン、ひいては日本語ラップシーンへの別の回路を作ること。まだほんのわずかではあるが、可能性が見えた日だった。