• 2025年3月25日

    先輩と後輩の卒業式。博士課程卒業の式典だけ別会場かつ学部・修士の授与式と時間帯がなぜか被っており、先輩の方を見に行った。我々の所属する機関のトップにあたる偉い人が挨拶で、「科学者として今後も研鑽される皆さんは」というようなことを言っていて、農業経済学というフィールドで研究を行う我々は科学者なのだろうか、研究者という表現じゃダメなのなのだろうか、、という気持ちになった。社会科学という意味ではそうかもしれないが、被害妄想だと思うが、何だかハブられたような気がした。そもそも全員が科学者もとい研究者としての道を歩むわけではないということも考慮されてないんじゃないか、という感が全体のスピーチを通してあり、それについても残念だった。そのスピーチには原稿があって、日本語の後に英語でも行われたのだけれど、世界の役に立てるような存在に、という文脈で、英語の方にだけに”war”、”poverty”という語が登場して、は?と言いそうになるのと堪えた。私の聞き逃しか、せめて、元の日本語原稿にはあったが読み忘れたのだと信じたい。

    愚痴ばかりになるのも嫌なので書くのは控えるけれど、残念な気持ちになることばかりの1日だった。私はもう長くここには居られないなという気持ちにさえなった。映像研には手を出すなという漫画に出てくる金森さんという登場人物の「理解してくれない他者に気を取られていると人生が崩壊しますよ」という言葉を度々思い出すここ最近である。

    とはいえ、卒業されるみんなとはさよならの言葉をきちんと交わすことができて、それはよかった。無理せず頑張ってください、と自分にも言い聞かせるように、何度も伝えてしまった。

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  • 2025年3月24日

    咳が悪化しており論文の執筆に身が入らない。何が原因なんだ!何が船を動かすんだ!などと悶々としていると、後輩から連絡が入り、そういえば明日の卒業式で卒業生に送る花を買っていないです、とのこと。慌ただしさからすっかり忘れていた。歓楽街に住んでいるので、遅くまでやっている花屋は歩けばいくつも見つかるが、なんだかなと思い、少し離れた場所にある、前から気になっていた花屋へ散歩がてら買いに行くことにした。予算は一つあたり2〜3,000円ぐらいで、4人分をいい感じに、とお願いすると、異なるパターンの花束を4つ作ってくれて、これはビタミン系、これは情熱系、などと一つ一つテーマを設定してくれた。ビタミン系は黄色が多く、CCレモンってコト…?と思うなど。店内の花を眺めながらラッピングを待つ。途切れず来客があり、恋人に贈る花束を買う人、彼氏が花瓶と一緒に花束くれたらアガるね、と会話する若者などを横目に、花屋はハッピーな場所だなと思った。たまに自分のために花を買うのもいいかもしれない。ところで花粉症の人は花屋に行っても大丈夫なのだろうか、なんてことを考えているうちに花束が完成して、両手にわんさか抱えて帰宅。明日までなるべく新鮮さを保つために、教えてもらった通り、水を入れたコップに挿した。一晩だけいい感じの台所が完成した。

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  • 2025年3月23日

    咳が止まらない。黄砂のせいなのでは、と思い至る。そうだとして、それはどうしたら確かにそうだと言えるのだろう。内科か耳鼻咽喉科に行って、喉を覗かれ、黄砂がついてますねえ、となるのだろうか。

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  • 2025年3月22日

    あるイベントに参加するために朝5時過ぎに起きて飛行機に乗って東京へ。元々予定が入っていたのをリスケできてはいたのだけれど、ここ一週間ほど、疲れか花粉症かはたまた喘息か、体調がすこぶる悪く、当日起きることができ、尚且つ体調がよければ行くということにしようと思っていた。ちょうど一週間前の土曜日も(主催の)大きなイベントがあって(たぶんその反動で体調が悪い)、毎週毎週心身ともに負荷の大きなものに参加していると自律神経がどうにかなってしまいそうだという心配もあった。などと思っているうちに、私の研究との関係で、どうしてもこれは見ねばという展示の存在を一昨日ぐらいにTwitterで知り、会期が明日までということで、無理を押してでも行くことにした。実際、起きてみると咳は出るが身体のだるさはなかった。随分前に知人から喘息に効く漢方薬をもらっていたことを思い出し、水道水で飲む。数錠カバンの中に忍ばせ、効いている効いていると思い込ませつつ家を出た。

    羽田空港のマクドナルドでソーセージエッグマフィンを食べて恵比寿へ。ここ三年ほどなんだかんだで一年に一回は来ている気がする。相変わらずしゃれとんしゃーね、と思いながら動く歩道を歩く。ヱビスがまた恵比寿でビールを作り始めました、というポスターを見かけたが、そもそも一度目を知らない(後々調べてみると恵比寿という地名はヱビスビールが由来とのこと)。見たかった映像作品の開始時間ぎりぎりに滑り込むことができた。今日は余裕がないので詳細は省くが、わざわざ無理を押して見に来てよかった。作家と研究者という違いはあれども、同じようなことを考えている人がいるということに、この方向性で私は間違っていなかったんだ、孤独じゃないなと後押しされた気持ちになったし、その上で、私が研究者として何が書けるか/できるかということを考えねばと背筋を正された。急いで五反田へ向かう途中にもう一度見たヱビスのポスターは来た時と違って見えた。

    開場してほんの少し経ったぐらいにイベント会場に着く。ここ数ヶ月、研究や生活の傍らでデザイン作業を行なっていた同人誌の即売である。買ってくださる方々に直接お渡しすることができて、来てよかったと思う。デザイン作業中、心の支えにしていたのは、私の地元でかつてサークル誌を作っていた人々の存在だ。彼らのことについて数年前、ある同人誌に書いた。彼らは誰に、どんな風に、サークル誌を販売していたんだろう、ということがふと気になった。それは彼らのサークル誌を読んでいてもあまり見えてこないことなのかもしれない。

    途中、シフトの人が来ず、一人で店番をしていた時間帯が結構あって、かつ客足も遠かったのでぽつねんとしながら(嫌味に聞こえるかもしれないがそういうつもりはなく素朴に)働きアリの法則のことを考えていた。伊坂幸太郎の『オーデュボンの祈り』という小説に、自分がいるから事件が起こるんじゃないかと考える名探偵の命題が記されていて、私がいるから人がサボるんじゃないかというか、なんだかそんな気分だった(大学にいても思うし、母の職場の愚痴聞くと母もそうだなと思う、血だな)。とはいえ、推理小説のように殺人事件は起きず、(大学の場合とは違って)むしろ何かしらの交流(と酔っ払い)が生まれているのだから喜ばしく愉快なことである。自意識過剰だとは思うが、三分の理ぐらいはあるだろう。30%と書いてみると多いよな、とこの由来の諺を目にするとといつも思うので、三厘の理ぐらいは、と訂正しよう。韻を踏んでいるし謙虚なのでこちらの方がいい。

    最近やや有名になり始めているある人から、お声がけいただければ書きますよ、と言われた。なんだその言い方は、とがっかりした。この同人誌は、半匿名の、書きたいことがある人たちが集まって書いているのだ。誰それといった有名な著者の名前をでかでかと表紙や目次や紹介文に書いたりなどしていない。何を見て/何が見えているんだろう。悪気なく善意で言ってくれたのはわかる、がむしろそれこそが、というあれである。いやはや。腹が立ったし減ったし人に酔ってきたのでケバブ丼を探しに外に出た。

    東京にはケバブ丼のあるケバブ屋がたくさんあっていいなと思う。東京に行くと、人と食べる時以外は、ケバブ丼ばかり食べている。福岡、というか天神にもケバブ屋はあるが、まず丼がなく、半屋外の即席的な感じではないし、近頃はあの回るケバブグリルではなくふつうに焼いて作るようになっていた。東京が羨ましいと思うのはその一点だけである。席のない店しか見当たらず、その辺の路上に座って食べた。辛口がだいぶ辛くて、中辛ぐらいにしておけばよかった。

    会場に戻って、ずっと見たかったクルーのライブを見た。パフォーマンス自体はかっこよかったのだけれど、もっと長い時間、でかい音、でかい低音で聴きたかった。その分というかラップがはっきりと聞こえ、リズムキープやマイクに声をうまく乗せる発声、発音の巧みさを痛感できたのは、それはそれでよかったのかもしれない。三人組だが一人は映像担当なので演奏自体は二人だった。(STUTSのような場合があるのでクルーとして)サンプラーの生演奏+ラップという組合せは何気に初めて見たかもしれない。ドラムは叩いていたが、上ネタとベースはどうしているんだろうかと気になった。できないわけではないがやる人いないよな、そういえば、とryo takahashiの10年前ぐらいの動画を思い出した。

    まだイベント自体は続いていたけれど、翌日は午前中から予定があるため、始発の飛行機で帰らなければならず束の間の会食ののち離脱。ラブホ街を迷子になりながら、ネカフェを探す。キャッチのお兄さんに何かお探しですかと聞かれて、ネカフェを探しています、と答える。うちの店で寝れますよ、と言われ、4時間でいくらですか、と聞こうかと一瞬思ったがやめた。二人目のキャッチのお兄さんが親切で、自遊空間の場所を教えてくれた。寝る前に楽しいことどうですか、とは言われたけれど。カラオケの看板を持ったお兄さんとエレベーターに乗って先に降りる。会員カードを忘れたので作り直す。身分証をスキャナーにかざすと、どこか遠くの人がそれを認証してくれる。24時間それだけをやっている人がいるのか、AIのどちらなんだろうと思いながらマットレスの完全個室へ。部屋に入ると身体が緩んだのか咳が止まらない。完全個室とはいえ隣の人に申し訳ない。

    会いたかった人と会えたり会えなかったり、話したかった人と話せたり話せなかったりした。もっと話したいことも生まれた。まあでもまたきっと会えるしなと思えること、そういった場が用意されていることは本当にすごいことだ。私の研究や生活を気にかけてくださる方々がいてくれて、大変ありがたかったし励みにもなった。明日以降きっと反動はあるだろうけれど、総じて来てよかったと一日を振り返りながら、ドリンクバーで水を汲み、咳止めの漢方薬を飲んで横になった。

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  • 2025年3月21日

    昔のバイト先の後輩と数年ぶりにご飯。博士課程に進んだということで、お互いにどんな感じですか、的なことが会話のメインだったのだけれど、AIの使い方や、海外での学会参加、国内学会での懇親会の様子などなど、異分野の文化の違いに驚くことばかりだった。懇親会に協賛的な存在がおり、全然食品的な分野ではないのだけれど、日本酒の飲み比べがあったことがあるらしい。こちとら懇親会なのに学食でなぜか弁当だったことがある。

    朝起きてお弁当を作り、大学で研究、夕方には帰宅し、夕ご飯を作って食べて、あとはゆっくりするという毎日を送っているという話を聞き、あまりに真逆で、これが健康的な生活、、とあまりに驚いた反応をしてしまった。困惑させたかもしれず申し訳ない。いつのまにか怠惰を着るような、かつての私が嫌いだったやつに、私はなっているのかもしれぬと反省し、ちゃんとしようと思った。

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  • 2025年3月20日

    一日中執筆作業。ようやくこういうまとまった時間が取れた。これが毎日続けばいいのに、どうしてそれが難しいんだろう。締め切りまでの1週間頑張ろうと景気付けに(くら寿司が1時間待ちだったのもあって)近所の回らないけれど安い寿司屋へ。祝日というのに空いていてカウンター席に通される。右隣では新人スタッフが賄いを食べながら職人と談笑していた。賄いを食べ終わるとご馳走様でした、美味しかったです!と快活に言っていてよかった。

    左ではかなり酔っ払ったご様子の初老の男性が、〆にきゅうりの一本漬けをつまみながら飲んでいて、途中やってきたUber eatsのお兄さんに立って待ってないで席空いてるんだから座りなよ、と言った。お兄さんはいやあと困惑しつつ立ったままで、すぐに出来上がった寿司を受け取って去っていった。そのあともああいうときは座らせないと、と職人に説教を始めて、大変だなあと思いながら、イサキの炙りなどを食べた。

    しばらくすると左隣の初老男性が職人に対して、こんな祝日まで働いて働きすぎなんじゃないか、労働基準法に引っ掛かっちゃうよ、と言いながらこっちを向いて、ほらこの人労働基準局の人っぽさがあるじゃない、と言われ、慌てて付けていたノイズキャンセリングイヤホンを外した。そんなスパイみたいなものじゃないですよ、ととりあえず応えた。髪を結っているぶかぶかパーカーの若者がなぜ労働基準局の人間に見えたんだ、それも労働基準局の人たちへの偏見かしら、と思いながら、イサキの炙りを追加注文した。

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